2009年04月25日

「要は、勇気がないんでしょ?」で終わる草なぎ剛

ほんのちょっと前の話。今よりも僕はずっとずっと「いいひと」ぶるのが好きで、仕事上キャラを作らざるを得なかったのです。
でまぁ、当時も今と変わらず草食系で、
某友人と飲みながら「もう疲れた、だからアイドルグループは嫌いなんだ」と愚痴言ってたのです。
赤坂で。

したらまた、この友人が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今から全裸になろう」と。
全裸なんか外でしたことない僕は焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。
でも友人は、少し遠くで何かの撮影をしている2人組のカメラクルーを指さし、「あそこ行って一緒に脱ごうぜ」と言い、席を立ちます。
僕は「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがに生放送はまずいでしょ」とか言って止めます。
友人は「嫌がられたら(少し謹慎したあと)戻ってくればいいんだよ」と言ってましたが、僕が動こうとしないので行くのをやめました。

「じゃあ、店出て、外歩いているその辺の人に全裸ダイブするか?」と友人は言います。
「逆にそっちの方が難易度高いだろ」と僕は顔をしかめます。
「でもいい人キャラが嫌なんだろ? だったら壊すしかないだろ」と友人は口調を強めます。
「そうだけど、もっと普通に変わりたいっていうか」と僕。
「なに、普通って?」
「ドラマで総理大臣やるとか、映画で猿を演じるとか、そういう…」とハッキリ言えない自分。
「じゃあ、オレが今からSMAPに加入してきて、それでお前に全裸指南したらいいか? それなら同等の扱いだよな」という友人。
「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。『「ぷっ」すまなんか二度と出るか ぶぁーかっ!!』とか」
「は?」
「その…」
「…『出ない』じゃねぇよ。『俺が終わらせてやる!!伝説作ってやるよ!!』」
「あ、そうだったね。…でも僕、ノリが良すぎるの、少し苦手だし。そこまでして別キャラになりたいってわけでもないし…」

友人はオレの顔をじっと見つめながら、一言、
「だせぇ」
と言いました。

ごちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん

彼は言います。言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。
全裸になる勇気もないやつが、「これは真の俺じゃない」とか言うんじゃない。

俺は撮影に行けば「これをやったら次回出られなくなるんじゃないか」なんて考えない。なぜなら「視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」って思ってるし、
目の前で悲しんでいる人がいたら「何とかして笑わせたい。そのためなら警察につかまってもいいし、寿命が縮まってもいい」と思ってるし、
レギュラー取って安定した生活を狙えって言われても「1クールのレギュラーよりも1回の伝説」ってモットーは捨てられない。
だからお前は「自分には『爽やか愛され草食系キャラ』を捨てる勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、
つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。

「……わかった。僕、勇気を出すよ!足りないのは勇気だったのか!そうだ!勇気も出さずに、自分をわかってもらおうとするのが間違っていた!!勇気があればどうにでもなる!!!」
「良く言った!今日はとことん飲んで勢い付けるぞ!!さあ飲め!!!」
その後の記憶はほとんど残ってない。

〜翌日〜

あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。
その場は言い訳もできず勢いで「シンゴー!シンゴー!」ってごまかしたけど、家に帰ったらメンバーの顔とセリフが思い浮かんで、
布団の中で「つまらない常識など 潰せると思ってた」と必死に言い訳考えてた。
僕には僕の事情があるんだ、しょうがねぇじゃんかよって。自分たちの「夜空ノムコウ」聞きながら(笑)

ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。

タグ:ネタ 一般
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2009年04月22日

Twitterを半年間使用・観測してみた感想

以下の記述はあくまで個人的な使用感・使用方法、観測範囲での認識にすぎず、一般化できる話ではないという点に注意。

Twitterを例えるなら

個人的には「ミニブログと登録範囲が限定されたRSSリーダーの機能が合体したもの」という認識で使用している。以下はその理由。

発信サービスとして

「1Postが140文字に制限される」「1度ログインすれば(あるいは各種ツール・ソフトを使えば)Postへの物理的・心理的ハードルが非常に低い」という特徴がある。Postは発言順に積み重なっていくだけで、目に見えてPostが評価されるシステムや効率的に過去ログを追っかけるような機能は用意されていない。*1つまり「気軽に発言してくださいよ」「発言ログは残ってはいるけど大した価値はありませんよ」という点で一貫した設計だといえる。

自分のTwitterの発言用途は「断片的な思考メモ」や「発信の閾値をかなり下げたブログ」になっている。「思考がまとまらない状態での感想」や「ブログエントリに起こせそうな大雑把な思考の枠組み」をメモしておくには、このハードルの低さは丁度いいと感じている。この思考メモはTwitterに発言して終わり(満足)という場合の方が多いが、たまに整理されてブログエントリになることもある。

別に単純なメモならローカルに保存しておいても構わないのだけど、「まれに反応があってより思考が整理される」とか「自分の発言に誘発されて別の人の考えが見えることがある」という点がただローカルに保存するのとは異なる。自分への@付きの発言は、ブログのトラックバックやはてブのidコールとほぼ同じものという印象。

発信ツールとしてのTwitterは「自分にとって必須サービス」とまではいえないが、「あればそこそこ面白くて便利」程度の意味合いで使っている。

受信サービスとして

自分にとってのfollowは「面白いTL(タイムライン)を作るための動作」であって、それ以上の意味はない。感覚としては「RSSリーダーにサイト(Blog)を登録する」のと同じ。興味がある・面白い発言をするアカウントを登録していき、「自分にとって面白いTLに最適化していく行動」といえる。followerの認識も「自分のブログをRSSリーダーに登録している人」と同じだが、IDが見えるので「はてブのお気に入られ」の方が実態に近い。

例え有名人でも発言がつまらない・興味がないならfollowする意味はないし、たまに凄く面白いことをPostする人でも普段ノイズと感じる発言が多いならfollowを見送る。*2この辺りの認識が「登録範囲が(Twitterに)限定されたRSSリーダー」と考えている理由。

ただ「発信のハードルが低い」のがTwitterの売りなので、全体的なノイズ量は極めて大きい。あまり考えずにfollow数を増やしていくと、面白くない or 意味不明な発言でTLが埋まる。TLを面白くするには「面白い(発言をする)人をfollowする」しかないが、Twitterは「面白い人を探す手段」に乏しい。*3少なくとも個人的な感覚では面白いブログを探すのより何倍も難しい。

書くサービスとしてTwitterを楽しめない場合、@を付けてコメントし合うコミュニケーションツールとして使用するか、他人のPostを読んで楽しむかのいずれかという話になる。読むサービスとして見ると、これは単純に「自分にとって面白いPostをする人を発見できるか」ということに尽きるが、前述の通りに探しにくい。

「Twitter特有の速報性」や「Twitter以外の発信チャンネルを持っていない面白い人(の発言)」は確かに存在するものの、ノイズの多さや検索性の悪さから「Twitterつまんね」とか「何が面白いのかわからない」という状態になる可能性は高いように思える。単純に「面白い情報(発言)を読みたい」という一般的な需要にマッチするにはTwitterの発言・TLは効率が悪すぎるので、情報の受信サービスとしての出来は(意図的にせよ)あまりよくないという印象を持っている。

まあ「気軽・手軽な発信」の先に待っているのは「ノイズの山」というはすでに2ch辺りで実証されているので、今更という話ではあるのだけど。

*1:Twitter検索はあるがあれも「効率的」とは言い難い。

*2:あるいはremoveする。

*3:ふぁぼったーは手段の一つではあるが、「(ある程度普遍的な)面白さ」の基準になるかといえばそうでもない。

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2009年04月21日

「才能の話をしているとなぜか努力の話を持ち出す人が出てくる」問題

才能があるとかないとかという話をしていると、なぜか「才能とは努力を続けることができる能力があることだ」などと言葉の定義をし直す人が出てきたり、あるいは「才能の話をしていたはずなのにいつの間にか社会的成功の話にテーマがすり替わっていたでござる」問題の話。

個人的な考えを書いておくと、「才能がある」という状態は「社会的(商業的)な成功」と直接的には何の関係もない。スタート地点が逆で「社会的に成功するためには何が必要か」というテーマなら「(何かの)才能がある」というのは条件の一つにはなりうるが、「才能の有無」がテーマなら「成功する」とか「飯が食える」とかその辺りの問題を持ち出す必要は何もない。「才能がある」というのは「手先が器用」とか「記憶力がいい」とか「足が速い」とかその辺りのことを言っているのと同じはずなのだから、「努力がどうの」とか「社会的に認められる」とかそんな話とは本来別問題のはず。*1

これは才能に関係する以下の状態を、個々が勝手に「才能」として定義して語っているからだと考えている。

  1. 才能がある
  2. 才能を発揮する(場所がある)
  3. 才能を発揮して評価される
  4. 発揮した才能で飯が食える
  5. 発揮した才能で商業的に(大)成功する

並べればわかるが、1から5はすべて別の話。1の状態は2の状態になることを保証しないし、2から3もその後も同じ。ただ、基本的に数字が増えるほどハードルが高くなり、椅子取りゲームが厳しくなるのは間違いない。*2

「努力がどうの」という話が絡んでくるのはこの段階を経ていく場合に関係してくるのであって、少なくとも1の段階では関係がない。また、そもそも時代によって1はともかく2から先が用意されていない「努力以前の問題」ということも十分にあり得る。

例えば読み書きに優れた才能を持っていたとしても、文字が普及する以前だったり、教育が一般化せず一部の特権階級やインテリ層しか文字が書けない・読めない時代(社会)ならどうしようもない。逆に大昔には役に立ったが、今はほとんど発揮する機会がない才能もたくさんあるのではないかと思う。

あとはなぜ「才能≒努力」的な発言をする人が出てくるのかいう問題になるが、これは「社会的に認められない才能は才能ではない」のような実利主義、または「努力したものこそ成功する」とか「懸命に努力すれば認められる」のような「努力賛美」「ポジティブ教」辺りが関係していそうな気がするが、よくはわからない。ただ少なくとも自分の定義では「才能を『継続した努力』と定義し直す必要はどこにもない」という結論になる。

*1:念のため書いておくと、努力(訓練)によって才能(技術)が磨かれる・向上するという話ともまた別。

*2:Webの普及によって、文才や画才などのWebに載せられるものならネット環境を用意すれば比較的簡単に2の段階まで持って行けるようにはなった。単純に総数だけ見れば3まで行くことも珍しくないのかもしれない。

*3:エントリそのものとはあまり関係がない。

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