2008年06月17日

本当に足りないのは努力ではない

「努力が足りない」というのはどういう状態かというお話。

  • 努力というのは目的を達成するための手段である。
  • 目的が達成できるならば努力する・しないはあまり関係ない。
    • 目的・経験・素養・時間・環境などで目的が達成できるかどうかの状態は大きく変わる。
    • 無駄な努力や手間をなるべく減らそうというのがライフハック。
      • 努力しないための努力という気もするが、多分言葉遊びの範疇に入る。
  • 目的が達成できなかったからこそ「努力が足りない」という状態が発生する。
  • 努力には内部的な努力、外部的な努力がある。
    • 内部的な努力は「自分が努力していると感じているか」
    • 外部的な努力は「努力しているように見えるか」
  • 努力のパターンとしては以下のものがある。
    1. 自分は努力していると感じている / 周囲から努力しているように見える
    2. 自分は努力していると感じている / 周囲から努力していないように見える
    3. 自分は努力していると感じていない / 周囲から努力しているように見える
    4. 自分は努力していると感じていない / 周囲から努力していないように見える
  • 自分から見た努力は1・2
  • 他人から見た努力は1・3
    • 1と4以外は立ち位置によって認識のずれが起こるため、そこが齟齬の要因になっていると思われる。
  • しかし「努力が足りているかどうか」という物差しで測る場合、「量」の問題なので1〜4のどれでも大した違いはない。
    • 要するに1であっても量が足りない。
  • 努力の量を定義する方法はないし、そもそも量が増えれば目的が達成できるかは別問題である。
    • 時間は計ることができるが時間量 ≠ 努力量。

結論

「努力が足りない」というのは何かをいっているようで、実は何もいってない。強いてわかるのは「目的が達成できていない」という状態と、「結果を出せ」というメッセージ。結果を出せば努力は足りるのだから、基本的に0か1しかないデジタルな考え方である。*1要するに足りないのは結果だけということ。

*1:努力すれば必ず報われるわけではないのは当然。ただ、こういう物言いをするならば、少なくとも言った本人は努力で目的が達成できると考えているはず。

タグ:社会 雑感 努力
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