2012年04月12日

“映画のようなゲーム”を極めた先にあったもの 「L.A.ノワール」

発売してからずいぶん経ってしまったが、執筆時点でのロックスターゲームズの最新作「L.A.ノワール」の感想。本編にDLCコンテンツを追加させた状態でオールクリア済み。ただ今作のDLCはシナリオといくつかのアイテムを追加するだけでゲーム的な変化はないに等しいため、文中では特に区別していない。

ちなみに固有名はあげてないがネタバレしてるので、気にする人は読まないことをおすすめする。

L.A.ノワール (初回生産特典:「The Naked City」ダウンロードコード同梱)【CEROレーティング「Z」】

概要

L.A.ノワールはロサンゼルス市警の刑事(ゲーム開始時点では制服警察官)「コール・フェルプス」を操り、欲望渦巻く1947年のロスで起こる事件を解決していくアドベンチャーゲーム。ゲーム世界はオープンワールド(箱庭)で視点は三人称(TPS)と、ロックスターお得意のシステムとなっている。特にゲーム内で高度に再現された美しい町並みの1940年代末のロスは、制作に多額の予算と大量の人員がつぎ込まれたことが一目でわかり、超大作ゲームの呼び名に恥じない作りだ。

まあわかる人向けに言えば「GTAのシステムに乗っかった推理ADV」に近く、少なくともゲームの見た目だけならそのような想像で間違ってはいないと思われる。

グラフィック

「素晴らしい」の一言に尽きる。同じくオープンワールドタイプの前作レッド・デッド・リデンプションをさらに上回る「世界の作り込み」が各所で見て取れ、手抜きらしきところはほとんど見あたらない。各種モニュメント、摩天楼、住宅街、郊外の森林……とどこへ行っても現行の据え置きゲーム機における最高峰のグラフィックを見せつけてくれるため、端から見て「こんなに金がかかってていいのか」と思えてしまう。

もちろん建物だけでなく敵味方となる人間や重要な足となる自動車、各種武器、そして小道具なども十分すぎるほどのクオリティを達成している。これはゲーム全体の「雰囲気作り」に非常に貢献していて、映画のジャンルのひとつであるフィルム・ノワールを極めて強く意識した(というかそのままな)タイトルが名前倒れで終わっていないことがわかる。

ゲーム的な面から見てもGTAでありがちだった「(恐らくメモリの関係で)同一種の車や人間ばかりが表示されて不自然」という点も若干緩和され、パッと見たときの不自然さも減少している。街中では歩行者は車が突っこんでくれば結構本気で逃げるし、車道沿いにあるオブジェクト(ベンチやゴミ箱)は小気味よくバラバラになったり、吹っ飛んだりと極端な変化はないものの全体的にGTA4からの順当な進化は感じる。

グラフィックや演出という点では、2011年現在なら全力で満点を付けてもいい出来だ。

ゲームシステム

映像面では褒めてきたが、ここからは雲行きが怪しくなってくる。

前述のとおりにL.A.ノワールはGTAと同じのオープンワールドゲームながら、ゲーム自体はステージクリアタイプの「章立て」で進む。基本的にどのステージ(ゲーム内では「CASE」と呼ぶ)も

  1. 署内で事件発生を知らされ簡単なブリーフィング。(省略されることもある。)
  2. 事件現場に移動。(同上。)
  3. 現場検証をおこない検死官や警官、目撃者に聞き込み。
  4. 関係者宅などに移動し、証拠集めと聞き込み。
  5. 被疑者逮捕。(射殺等で省略されることもある)
  6. 被疑者を尋問し自白させ(しない場合もある)、起訴。

という流れで、特に必ず何度も繰り返す4.がゲームのキモになっている。途中で銃撃シーンやカーチェイス、尾行等が比較的頻繁に挟まるが、これらの捜査方法自体は最後まで変化することはない。規定数のステージをクリアすると「別の部署へ異動」となり、次の章に進みまた同じことを繰り返すという形だ。

シナリオ上選択肢はいくつがあるが、大きなストーリーの分岐やマルチエンディングのたぐいは一切はない。DLCを購入すると途中でその導入したステージ(CASE)が追加されるが、それ以外は誰がやってもおおむね同じ流れで進む。このあたりもロックスターらしいと言える。(いちおうGTA4では微妙なストーリー分岐は盛り込まれたが……。)

「オープンワールド」なのだが……

最初に断っておくと、事件の最中でもロス(箱庭)自体はいくらでも散策できるが、それによって捜査自体が影響受けることはない。数回だけ例外として「一定時間内に目的地に到着しないと人がいなくなって、若干捜査手順が変わる」というのがあるだけだ。

いちおうマップにはいくつかのミニクエストや隠しカーが用意され、定番の収集系のアイテム(DLCでもう1種類追加できる)が設置されていて探せるが、それ以外に出来ることは非常に少ない。

何せ警官なので通行人を自由に殴ったりはできないし、無差別発砲なども当然できない。車で暴走するのはGTAに引き続き可能だがステージ中は明確にペナルティが付き、ステージクリア後にリザルト画面でスコアを減らされる。車は強引に借りられるが職務権限でやるし、人を轢いてもあくまで事故扱いなので警察が襲いかかってきたりはしない。

さらに捜査に無関係な建物にはまったく入れない。そもそも店という概念がないので何か買えたりはしないし、お気に入りの車を自分用のガレージに入れたりもできない。事件現場や関係者宅にはほぼ車で移動するが、道中(ミニクエストが始められる以外は)何もないため自分で運転する意味はない。というかむしろ運転して事故が起こるとこれもリザルトでペナルティになるので、相棒に車を任せて瞬間移動した方が有利な始末。GTAはオープンワールドながら(特に3や4は)そこまでできることが多くなかったが、L.A.ノワールはそれに輪をかけて自由な行動は制限されている。

正直なところ「何でもあるが、何もできない」という言葉が頭に浮かんでしまうような感じだ。

一見凄いが実はあらが目立つ「尋問」 証拠集めは前世紀レベル

ゲーム内でおこなう「捜査」は実はかなり地味だ。これは「警察の捜査だから地味(地道)」という意味ではなく、ゲームシステム自体に起因する。

ステージが始まり事件現場に移動すると、基本的にやることは以下のふたつしかない。

  1. 関係者から話を聞く。(尋問)
  2. 地面に転がっている証拠品を探して調べる。

1.はこのゲームの売りのひとつとなっている「尋問」で、これは高度に再現された登場人物の表情から“嘘”を見抜き、それを追求して事件の真実を明らかにしていくという触れ込みだ。確かにCGによる見事な造形と、実際の役者からモーションキャプチャした表情は驚くほどリアル。顔のモデリングには相当な手間をかけているのがわかるし、全編を通して極めて現実寄りの作風なのでシワまでばっちり。さらに日本語吹き替えではないのでリップシンクも完璧だ。

とはいえ動きも含めると話は違ってくる。どうにも嘘をついているときにはあからさまに不自然すぎるのだ。もう表情がどうのと言うより、ほとんど横を向くまで目をそらしたり、完全にうつむいてしまったり、挙動自体が急に不振になったりと「表情を読む」どころではないのが珍しくない。アニメ世界だったら手作り弁当をもってきたのに「あんたのことなんか全然興味ないんだからね!!」といってるレベルだろう。恐らく難易度的な問題からわかりやすさを優先したのだろうと推測するが、これだと「役者を使った〜」という売り文句の前に「相当オーバーアクションな」と付けた方が良かったように思える。

さらに別の問題もある。前述のとおりに嘘自体はかなり見破りやすいのだが、かなりの頻度で「その先どうしたらいいのかわからない」という状態に陥る。尋問時に自動で用意される質問を投げかけた結果として先ほどのリアクションが返ってくるのだが、それに「信じる」「疑う」「反証する」のいずれかの対応をするとひとつの質問が終わる。

信じるはそのまま、疑うは「根拠はないが信じない」、反証するは「手元の証拠を突きつけて反論する」なのだが、疑うと反証するの区別が非常に付きにくい。翻訳の問題なのか事前の会話からこの部分を読み取ることが難しく、特に「反証する」は証言に合わない証拠を一覧からちゃんと選ばないといけないのだが、これが「どれだかわからない」「明らかに矛盾するのに取り合ってくれない」というのが珍しくない。

結局推理どころか単にリアクション芸で見破って、反証を選び反応を確認し(反証するを選ぶとその時点で相手が反応して様子を見られる。実際に証拠を選ばなければキャンセルできる)、カンで疑うか反証するか選ぶ……という形になりがち。技術的には凄いのかもしれないが、どうにもこぢんまりと収まっている感が否めない。おまけにミスると二度とやり直しはきかず、嫌なら昔懐かしいリセットを使うか、ステージを最初からやり直すしかない。

まあ良い点もある尋問はまだいいとして、2.の証拠集めは正直どうしようもない。基本的にどこへ行っても「証拠品があるらしきところにキャラを移動」 → 「拾えるものがあると音と振動で反応(これはOFFにもできる)」 → 「ボタンを押すと拾って調べる」の繰り返しだ。ゲーム的な何かがあるとすれば「現場にはハズレ品(ガラクタなど)もあるから、全部拾っても意味がない」という程度で、まさにフラグ立てのためにそこらを適当にうろつき回る作業で終わっている。

昔のADVは「矢印を移動させて証拠品がありそうなところをとりあえずクリック」というのが定番だったが、これが3D画面で構成されているだけのような、まるで化石のような仕様の古さだ。証拠品を探して主人公が無意味に壁沿いをノロノロと歩いている姿は、ドットのマウスカーソルがリアルに再現された3Dポリゴンの人間に置き換わっただけかのような、20世紀感溢れる趣を醸し出している。

つまり全体的なゲームの流れは「大昔さながらのアイテム探し」 → 「リアクション芸で正解の選択肢にアタリを付けて選択」という作業を淡々と繰り返していくことになる。しばらくの間は圧倒的なグラフィックと演出、そしてストーリーでそこそこ楽しいのだが、慣れてくるとどうしても単調さが気になってくる。途中で銃撃シーンやカーチェイスが結構頻繁に挟まれるのだが、これすらも中盤以降マンネリ化していって根本的解決になっていない。「警察なんて実は地味。日々同じことの繰り返しなんだ」ということなのかもしれないが、これはゲームなのだからもう少し何とかしようがあったのではないか。

証拠を使って謎を……解かなくても良い

前述のとおりに尋問はミスが許されず、一回正解を逃すとその質問項目は失われてやり直すことは出来ない。でも実はそんなことはほとんど気にする必要がない。なぜならいくら失敗しようがほぼ展開は変わらないし、絶対に犯人は捕まるし、謎を自力で説かなくても何のデメリットもないからだ。(CASEによっては、多少のシナリオやセリフの変化は発生する。)いちおうステージクリア後のリザルト画面で表示される星の数と簡単なメッセージが変わるが、本当にそれだけ。ステージによっては被疑者が複数いて好きな奴を告発できるのだが、それすら正解でなくても問題ない。「謎を解けなきゃ犯人が!」的な緊張感は皆無と言える。

またそれと同時に、前述の銃撃シーンやカーチェイスは数回失敗すれば飛ばすことができるようになっている。これはGTAと違いADVというジャンルであるため、アクションシーンが苦手な人でも進めるようにした結果だろう。ところがこれが輪をかけて緊張感の低下を招いている。なんせ銃撃シーンやカーチェイスはどの章のどのステージでやってもほぼ同じ流れであるため、飽きが来るのが早い。正直なところ、意図的に失敗して飛ばしてしまった人もかなり多かったのではないか。

この「何をやっても変化が起きない」仕様に特に大きな疑問を感じるようになるのは、中盤の殺人課が始まってからだ。この章はメインストーリーを外れてある連続殺人事件を追うことになるのだが、ここで延々と誤認逮捕・起訴を続けることになる。(終盤でも同様の流れがある。)

せっかく作り込まれたオープンワールドがそこにあるのに、決まったところにしかいけず、決まった流れにしかならず、決まった人間しか捕まえられない。普通考えるなら箱庭の自由度を使って「先回りして犯人の裏をかく」「現場で証拠の再検証」「待ち伏せして逮捕」などがあってしかるべきのように思えるが、そんなものは一切ない。むしろ待ち伏せ場所にホイホイ(というか無理矢理)行っちゃうぐらいである。

結局どこまで行ってもドライブとミニクエスト(おおむね銃撃戦とカーチェイスと追いかけっこ)のためにしかこの「世界」が生かされておらず、「技術の無駄使いとはこのこと指すのか!」的な気分にすらなってくる。

ストーリー

昔あった実在の事件を元ネタにしているだけあって、引き込まれる話が多い。ミステリの典型なような殺人・失踪、汚職・腐敗、薬物、猟奇殺人、人情もの……とバリエーションは豊かで、全体でみればボリュームも比較的大きい。「警察が動いている時点ですでに事件は起こっているため、ハッピーエンドはあまりない」という点でも、Z指定に相応しいような大人向けの内容とも言えるだろう。

全体を流れるメインストーリーは「主人公 コール・フェルプスの過去にケリを付け、ロスにはびこる権力者達の巨悪を暴け!」という王道なもの。したがって目新しさはほとんどないが、変に奇をてらわなかっただけ安定した、ゲーム全体の雰囲気にマッチした仕上がりになっている。

ただ前述の「ほぼ完全に固定化された自由度がない展開」と、ゲーム終盤に唐突に起こる主役交代劇だけはどうにも納得できなかった。散々「コール・フェルプス」としてプレイを続けてきたのに、最終盤とエンディングは別のキャラで迎えなくてはならないのだ。いちおうストーリー上で交代の理由付けはしているが、どうにも不可解に思えてならない。恐らくエンディングの関係でこうなったのではないかと思う。

またゲーム内で「事件の基本は地道な捜査」「警察としてむやみな発砲は控える」「アクションシーンは下手なら飛ばせる」という作りをしておきながら、最終ステージは結局暴力(ドンパチ)でカタを付けるというのはどうなのだろうか。これが最初から最後までほぼバイオレンスで解決するGTAなら何の問題もないだろうが、この作品で「最終的な盛り上がり=トリガーハッピー」になってしまったのはどうにも疑問が残る。

「このゲームシステムを作ったのは誰だあっ!!」

このゲームを通してプレイした後に感じるのは「全体のバランスがあまりにもちぐはぐだ」ということ。グラフィックや演出、世界(箱庭)の作りは超一級品なのに、それを生かすためのゲームシステムそのものがあまりにも古くさく、旧世代的で、練り込み不足になっている。また、システム・ストーリーの両方で徹底している「自由度の低さ」が、オープンワールドの良さをほぼすべてスポイルしまっていて、本当に箱庭が必要だったのかすら怪しい。結果としてパーツごとのクオリティは桁違いに高いが、全体としてみると「うーん」と首を捻るレベルになってしまっている。

言ってみれば「最高級の食材、国宝級の皿、超一流のシェフを投入したのに、出てきたのはなぜかファミレスのハンバーグセット」という感じだろうか。システムさえ一皮むけた“次世代”のものを用意できれば、今までADVの常識を遙かに超えたゲームすら狙えたように思える。とにかく感想として「あまりにも惜しい」と言わざるをえない。

もしロックスターゲームズがセガの「シェンムー」を作ったら

個人的にこのゲームをプレイしていて思い出したのは「シェンムー」だ。そう、70億円もの予算を投入し、セガのドリームキャストの救世主として期待された“あの”シェンムー。

シェンムーは1999年に発売されたとは思えないような先進的なシステムを備えていた。フルポリゴンで細部まで再現された横須賀(の一部)、朝から夜まできちんと描写される時間の流れ、現実の天気を参考にした天候の変化、NPCごとに個別に設定されている生活のリズム、脇役まで含む全キャラフルボイス、ゲーム内ゲームとして移植されている「アフターバーナー」などなど……。これらは発売前に大きくフィーチャーされ、期待を煽る要素となった。今考えれば、当時これだけのものを盛り込んだなら(宣伝費を含めても)70億円という予算もそれなりに納得できるかもしれない。

ただ残念なことにこれらの「先進的なシステム」は、ゲームの本筋自体に絡むものではほとんどなかった。ゲーム自体は「TPSのフラグ立てADV+たまにバーチャ風格闘ゲームが挟まる」という感じで、横須賀の町並みも、天気も、NPCの生活リズムも、フルボイスも、それ単体では非常にクオリティが高かったが、ゲーム内で有効利用されていたとはあまり言えない。(いちおう「会いたい人の活動時間まで待つ」というのはあったが。)

この「自由に何でもできそうな世界があるが、実際にできることはかなり少ない。金をかけて作ったはずの要素が、ゲーム内で噛み合っておらずほとんど生かされてない」という「もったいなさ」を、L.A.ノワールをプレイしていて思い出してしまった。

ちなみにロックスターゲームズの大出世作GTA3は、このシェンムーの影響を強く受けているらしい。

そう考えると十年以上の時を経て「ロックスターがセガに追いついた!やっとシェンムーの時代が来たよ!」という感じで感慨深さもひとしお……となるような気がしないでもない。

「L.A.ノワール」という映画を完成させろ!

L.A.ノワールを一言で表せば「まるで映画のようなゲーム」だ。これはプレイステーション時代から散々使われた大げさな売り文句やお世辞ではなく、「本当にそうだ」ということ。このタイトルを含め、ゲームコンセプトも間違いなくこれだろう。少なくともその目的は十分達成されていると思う。

だが「映画のようなゲーム」には、今までにも散々「見た目と雰囲気だけ。CGばっかり力が入って、ゲーム内容がおざなりで進化がない」という批判がされてきた。国内のゲームであげるなら7以降のファイナルファンタジーはずっとそういう叩かれ方をされてきたし、もっと大ざっぱに国内ゲーム全体をこんな形で叩く風潮もあった。また、そもそもそういう批判をするために、およそ映画にはほど遠くても「映画みたい」と皮肉混じりで表現していた場合もあるかもしれない。

だがこのL.A.ノワールはその辺りの"エセ映画のようなゲーム"とはまったくレベルが違う。莫大な予算と人員、時間をかけてロックスターゲームズが本当に「映画のようなゲーム」を本気で作ったのだ。そして「見た目と雰囲気だけ〜」という批判の内容すらそのまま具現化してしまった。まるでコントのようだが、これは現実である。

いや、言ってみればこのゲームそのものが「映画撮影シミュレータ」のようなものかも知れない。プレイヤーは「コール・フェルプス」ではなく、映画を完成させるために「コール・フェルプスという"役"を演じている役者」を操作(プレイ)しているのだ。外に出て何もできないのも、選択によってストーリーに変化がないのも、自由に暴れられないのも、誤認逮捕を続けなければならないのも、事前に用意された台本があり、監督がその逸脱を許してくれないからではないか。もちろん役者の本分は「脚本に沿って役を演じる」ことであり、勝手なことをすれば途中でカットされるし、度が過ぎればクビになる。せいぜい多少のアドリブが限界だろう。

であればカーチェイスや銃撃シーンを失敗すれば飛ばせるのも理由がわかる。要するにそこだけ代役を立てたか、スタントマンを使ったのだろう。運動神経の悪い役者と一緒に作品を完成させるため、監督が手を回してくれたのだ。まったくありがたいことである。

要するにL.A.ノワールはADVではない。そう、実は本来の意味のRPG、つまり「ロールプレイングゲーム」で「役割を演じる」ゲームなわけだ。しかも「ゲームの主人公」ではなく「(ゲームの)主演男優の役割を演じる」というメタな視点での。サカつくが「プロサッカークラブを作ろう」なら、L.A.ノワールは「プロ役者を演じよう」と言ったところか。

おまけに終盤には前述の主役交代まで起こるため、「大人の事情による役者交代の当事者」という追体験までさせてくれる。最初は「コール・フェルプス」が主人公であったはずなのに、最後まで彼を演じることすらできない。ゲーム内でも「ハリウッドに食い物にされた被害者」が出てくるが、実は他人事ではなかったというわけだ。

良かったかは別として「映画のようなゲーム」のひとつの到達点ではある

通常、否定的な意味での「映画のようなゲーム」とは、「ムービーシーンが長すぎ(て操作できる時間が短い)」とか「デモ部分とゲーム部分のクオリティに差がありすぎ」などのいわゆる「ムービーゲー」などを指すと思う。ところがこれはそんな手抜き作品ではない。なぜならこれは「隅から隅までムービー(映画)のゲーム」なのだから。

大して乗る機会がない多種多様な車も、ちょい役なのに異常に作り込まれたキャラクターも、そして作り込まれたオープンワールドすらも、このL.A.ノワールにかかっては単なる小道具やセットの一部でしかない。本来なら書き割りのような「見える部分だけ」を作ればよく、多くの映画やゲームはそうしているが、あえて街ごと作ってしまったのだ。

そして「操作できないのが不満なら操作できるようにすればいいじゃない」とでも言いたいがごとく、ムービーシーンを延々と操作し続けて話を完成させるゲームとでも言えるような代物になってしまった。ある意味ロックスターゲームズでしか作り得ない、"もの凄い作品"であったと言えると思う。ビジネス的には400万本出荷ということで大成功ということだと思うが、個人的にはこのままの形の続編が出ても購入は遠慮したいところだ。

ちなみに出荷しすぎて余りすぎたのか、現在L.A.ノワールは各方面でPS3・Xbox360版とも大きく値下がりしている。フルプライスではどうにもすすめにくいが、現在の価格なら特典がついた新品ですら相当手が出しやすい。真の「映画のようなゲーム」を体験してみたいなら、買ってみて恐らく損はないと思うのは皮肉や冗談ではなく本心である。(注 : これを書いたのは2011年で、2012年の今は時間が経ったのもあってさらに安くなっている。)

 

(これも余談になるがXbox 360版は容量の問題でディスクが3枚組になっていて、クリア済みのエピソードをやり直す時などにDVDを入れ替えるのが若干面倒に感じた。もし買うならPS3版の方がストレスがなくていいかもしれない。)

posted by RPM at 11:00 | TrackBack(0) | BackLink | ゲーム | 更新情報をチェックする


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