2013年03月18日

そして、インターネットはGoogleリーダーを失った

Googleリーダーの終了が決まった。WebタイプのRSSリーダーとしては恐らくぶっちぎりのシェアトップであったことから、その影響も各所の反応も相当大きい。サービス終了自体は7月1日とまだ先なので、即座に移行作業に入る必要はないが、今後どうするかはそれなりに目星は付けておいた方がいいかもしれない。

実際に自分もメインのRSSリーダーはこれだったから、どうしたものかと考えているところ。

終了の理由しては「利用者数が減った」という建前になっていて、それを信じるなら「RSSリーダーはビジネスとして利益が出るほどの利用者数を確保できなかった」ということになるのだろう。同じGoogleのRSS関係の話題としては、去年の時点でFeedBurnerを買収してからおこなっていたフィード向け広告(Adsense)を終了させている。

この勢いだとFeedBurner自体が終了する日もそう遠くないのかも知れない。そうなったら自分のブログももろに影響を受けるから、リーダーとのダブルパンチは正直勘弁して欲しいのだけど。

多分ほとんどの人は「大量の情報を処理する」必要がなかった

「RSSリーダーはなぜ広く普及しなかったのか」という話題はブログ界隈では何度も語られてきたが、「RSSリーダーの利用者を増やせなかったお前ら(ヘビーネットユーザ)が悪いんだよ!」という話を翻訳記事であるが早速見かけた。

RSSを「スゴイ」と感じた人は、周囲の人に一所懸命魅力を伝えようとしていた。曰く「興味のあるものを予め登録しておいて、面白いものだけを見ることのできるテレビみたいなものなんだよ」等。しかしこうした説明では魅力はあまり伝わらなかったようだ。別の説明もにたりよったりだった。RSS自体が、目に見えないもので機能する、おたくっぽいものだったのだ。

中略

Readerがなくなることに怒りの声をあげている人も多い。しかし結局、そうした人びとも、RSSの魅力を活かし、広めていくことができなかったのだ。Google Readerを使うべきであると、人を説得することができなかったのだ。そうしてGoogle Readerは死んでいくこととなった。人びとが利用しないテクノロジーというのは死んでいく定めにあるのだ。

Google Reader終了 ― 結局のところ「RSS」は一般の人が必要とする情報収集手段ではなかった | TechCrunch Japan

恐らくある意味で、これは正しい。日本のネットでも「RSS凄い!こんなに情報収集が捗る!!」みたいな記事は定期的に話題になったが、その手の記事は「今や情報洪水時代!効率的に処理しないと埋もれて死ぬ!!大量のフィードをチェックしてデキる情報強者になろう!!私のフィード登録数は53万です。一向に構わんッッッ!!」みたいな論調で書かれることが珍しくなかった。まあ53万は言い過ぎにしても、平気で4桁数のフィードを登録してるとか語ってる人はそれなりにいたと記憶している。

上の記事ははてブで結構叩かれているが、これは元々「情報洪水をRSSで真っ正面から処理する」ことを是としていたライフハック系のサイトが、Googleリーダーの終了と共に「ごんめーwやっぱり間違ってたわーw たくさん読むだけ無駄だしソーシャルでええっしょwwGoogleが決めたんだから間違いないしwww」と転向した姿だと整理すればしっくり来る。RSSリーダーの利用方法を膨大な量のポスティングチラシを、1枚1枚チェックして、「有益な情報がないか」探す* ような行為だと考えている方々が、そのままのイメージでRSSリーダーの活用を積極的に薦めるような記事を書く、というような構図が(一部方面のサイトで)散見された。これでは「身近なサイトの更新をチェックするため」にRSSリーダーを使ってた人と話が噛み合わないのは、ある意味当然だろう。

個々人のRSSリーダーの使い方は別としても、インパクトのある「数百・数千のサイトでもRSSリーダーならチェックできます!」という大きい声がネットで拡散。それを読んだ人が「数千?俺には全然関係ない世界の話か」と理解してしまう事態はあったように思う。この手のある種本末転倒的な“効率化方法”が、海外ニュースをストレートに翻訳するだけのブログやライフハックサイト経由で話題になるのは見慣れた光景だ。

もちろんこれが決定的だったという話ではなくて、現実的には多くの人にとっては「RSSリーダーに入れるほど巡回してるサイト数がなかった」という辺りが正解に近いのだろう。ただイメージとして、今の今まで「RSSリーダーを身近に感じさせる」という行為に失敗し続けて来たのは間違いない。もし成功していたら、今のNHKが「番組のTwitterアカウントはこちらで〜す☆フォローしてね♪」とか言い出す何年も前に、「番組のRSSフィードURLはここで〜す」とか宣伝してただろう。

とはいえ「ネット先進国のアメリカですらできなかったんだから、日本にそう簡単にできるわけがないだろ」と言われれば、まあ返す言葉はないわけだけど。

ストイックさと自由度の高さこそが「普及しない」理由だったかもね

下のリンクは上でリンクした記事への反論エントリなんだけれども、笑ってしまうほど前提にしている「RSSリーダー像」が違う。要するに同じツールでも、人によって使い方がまったく異なるというわけだ。

RSSリーダーの使い方は工夫のしがいがあって、自由度が高い。

例えば更新頻度が高いニュースサイトのタイトルだけざっくりチェックして見たい記事だけ読むことができるし、逆に更新頻度が低いブログの記事を逃さずチェックすることもできる。はてブのタグ検索をブクマ数で調節して、あまり注目されてない記事を掘り起こすことや、今はできないがTwitterでブロックされたらRSS経由で読むこともできた。もちろんライフハックブログがオススメするように、数千のフィードを放り込んで読むことを諦め、「全部既読にする」を連打することだってできる。

この使い方の自由さと、「調節しただけダイレクトに出力結果に返ってくる」というストイックさこそが、RSSリーダーの真骨頂の一部かもしれない。

ただ結果として、その「自由」と「ストイックさ」こそが逆説的に“普通の人”を遠ざけていた可能性はある。「自由にカスタマイズ」するには当然(フィードやその加工の)知識が必要で、知識を得るには勉強するか経験を積むしかない。例えカスタマイズできるようになっても、最終的に得られるのは「フィルタリング&整理された情報や記事」だけだ。

「(何かを)登録して読む」という点ではRSSリーダーもTwitterも同じじゃないかという意見はある。しかしTwitterは「とりあえず有名人や友達をフォローする」というわかりやすい取っ掛かりがあるし、Botでなければ相手は人間だからコミュニケーションが生まれる。RTで思いがけない投稿が流れてくることだって珍しくない。そもそもTwitterは「受信」だけじゃなく、同じサービス内で「発信」できるという大きな違いがある。

結局のところ「使い方を覚えてカスタマイズすれば便利に使える」という意見は、裏を返せば「使い方を覚えてカスタマイズしなきゃ便利に使えない」ということでもある。世間一般の評価として、Twitterは使い方を覚えられるぐらい訴求力があったが、RSSリーダーにはなかったという話に落ち着いてしまうのではなかろうか。

「ソーシャルメディアがRSSリーダーに取って代わる!」という話

TwitterやFacebookがあるんだからもうRSSリーダーなんていらないだろ、という話はある。これは一面では正しく、実際に自分でもTwitter経由で記事を見つける場合は多い。ただそれが「だからRSSリーダーはもういらない」に直結するかと言えば、また話は違うだろう。

アクセスランキングやはてブのトップページが「みんながこの記事やサイトに注目しています!」というものであるように、ソーシャルメディアにでてくるリンクは「フォロワーや友達がこのサイトに注目しています!」ということにすぎない。あくまで選択基準は外部にあって、勝手にPOSTされるのでチェックするのに楽ではあるが、ピンポイントで見たいものが現れるとは限らない。単なるランキングに比べればソーシャルメディアのノイズフィルタはそれなりに優秀だが、それでもノイズはある。

その点、RSSリーダーは“自分が登録したフィード”しか表示されないのだから、厳選すれば自動的に「完全に自分に最適化された記事」が勝手にピックアップされる。「友達が選んだ」より「自分が選んだ」方が精度が高いのは当たり前だろう。

そもそもの問題として、その「ソーシャルメディアに流れてくる記事のリンク」は誰が発見してPOSTしたのだろうか。山のようにある新たに投稿された記事から、面白い記事をピックアップしてくるのは、情報流通の上流にいる、いわゆる「アーリーアダプター」や「インフルエンサー」などと呼ばれる人達のはずだ。彼らのような人がわざわざ「大多数の人間が使わないRSSリーダー」を使って情報を選別してくれるのだから、その人たちから道具を奪ってしまってはどうしようもない。

「ソーシャルメディアに任せる」というのは、ぶっちゃけてしまえば「他人に任せる」ということだ。だったらその“他人”がストレスなく効率的に活動できるようにした方がいいわけで、「Twitterありゃいいだろwww」というドヤ顔はかなり的外れだ。全体から見れば「私がTwitterで面白い記事を見つけるために、皆さんはぜひRSSリーダーをどんどん使ってください」という立場を取るのが、回り回って結果的に自分の得になる可能性が高くなるのではないか。

Googleの独り勝ちで「Googleで終了=全部終了」という流れに

この記事も含めて今回の騒動によって「RSSとリーダー全般」の話が盛り上がっているが、その話題性とは逆に、実際はGoogle一社のサービスが終わるだけだ。まあRSSリーダーの利用が広まらなかったのは事実だろうが、それは今急に起こった事態ではない。これはずっと前から言われ続けてることで、何も目新しさもない話題だ。

それでもこんな大騒動になってしまうのは、Googleが以下のような現状を作ってしまったからだろう。

Googleリーダーみたいに市場を食い荒らしまくって、他のRSSリーダーサービスを終焉に追い込んでおいておきながら、風向きが変わったら、さくっと終わってしまうことのほうが大問題。

F's Garage @fshin2000 :全収集型RSSリーダーの終焉とソーシャル化するWeb

Googleリーダー自体の使われ方と、その利用者層がどんな人達なのかをGoogleが理解していなかったということはないだろう。実際に公式ブログでも「熱心なユーザがいた」とわざわざ書かれている。

同社公式ブログには、「熱心なユーザーがいるものの、何年にもわたり利用者が減少している」とし、サービス終了の要因が記されている。

Google、春の大掃除2回目で「Google Reader」の終了を宣言 | 携帯 | マイナビニュース

それでもやめるということは、要するに「いくらギークやインフルエンサーなんて持ち上げられてる連中が使っていても、ビジネスにならなきゃあっさりやめるし、移行先もこっちでは都合しないからお前らで勝手にしろ」という立場を再度明確にしたということだろう。もちろん営利企業として儲からないビジネスを止めるのはまったく普通なことで、おかしなところはない。しかしこれは裏を返せば、Googleが良くも悪くも「普通の企業」に近づいたということじゃなかろうか。

Googleといえば今まで「技術で世界を変える」「ギーク万歳!」「フリーサービスやフリーミアムの代名詞」などの戦略で語られてきて、その辺の“古めかしい企業”とはそのイメージで一線を画してきた。それは今も大枠では変わらないと思うが、近年は色んなサービスを閉鎖・統合したり、実際のAndroid端末を自ら発売してるところを見ても色々変わってきた部分も多いのだろう。

「Googleリーダー終了」自体は、大多数の人にとって直接的な影響は恐らくほとんどない。しかし、「Googleが変わってきたわかりやすい証拠」としてはそれなりに大きな出来事ではなかったかと思っている。まあ自分の観測範囲では「Google WaveをやめたときからGoogleは変わった(終わった)」と言ってる人もかなりいたので、そういう人から見れば「今更なにを言ってるんだ」という感じなのかもしれないけれども。

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2012年04月23日

実名を全力で晒しながらネットで放言を続ける人達

「ネットの匿名発言は無責任なものばかり。実名を公開して発言すれば、発言に責任感が生まれ質が向上し荒れることもなくなるはずだ」という耳にタコができるほど昔から繰り返されてきた言説がある。これは「責任感」という呼び方すると実態がよくわからなくなってしまうが、「リスク」と言い直せばわかりやすい。

要するに実名という個人情報を晒していれば発言が人間そのものに即座に紐付けされるため、オフラインの評判や評価に直結する。それにより“自分自身(の評判)を守る”というインセンティブが強く働くため、リスク回避のために自然と不用意なことをしなくなるはずだ、というのが「名前を晒せ」という意見の意図するところだろう。(もちろん「何かあった時に名前が書いてあれば追い込みやすいから」というのもあるだろうが。)

ところが実際はそう簡単な話になっていない。実名(あるいは職業上の名前)を出していようが、所属を晒していようが、居住地域や経歴すら公開したFacebookと連携していようが、デマや放言を広めることを何ら躊躇せず、平常運転のように平気で繰り返すアカウントがいくらでも観測できる。しかも指摘されて直すどころか良くて無視(Block)、悪ければ罵倒や工作員扱い。しまいには勝利宣言すら繰り出してしまう場合すらあって、これじゃ「匿名の放言と何が違うんだ」という話になってしまう。これは2011年の震災後ならTwitterあたりで誰にでも観測しやすくなったが、以前ならmixiで個人情報を垂れ流したまま暴言や犯罪自慢をするのがよく話題になった。

この「個人情報を晒してリスクを取れ」という意見、多分以下のような場合はまったく効果がないということだろう。

  1. (たとえ一般的に放言と判断されるレベルでも)自分の発言をリスクのある行為だと思っていない。あるいは多少思っていても実害が実質的に存在しない。
  2. 放言やデマを流した方が商売上都合がよい。つまりメリットがデメリットを上回る場合。
  3. 自分の行為は正しいことであり、文句を言ってる奴は馬鹿な低能や工作員なのだと考えている。いわゆる本来の意味での「確信犯」。
  4. 内輪のルールが外部のルールより優先されるクローズドな、あるいは特殊な状況。

またそれとは別の方向で「名前を出しているからこそ間違いを絶対に認め(られ)ない」と思われるような行動も、(上の理由に比べれば少ないが)観測できた。これは企業が不祥事を起こした時に、広報やプレスリリースなどで「我が社は悪くない。むしろ被害者」的なアピールを全力ですることがあるのと似ているかもしれない。企業の場合は訴訟対策もあるのだろうが、個人の場合は「引っ込みがつかない」とか「間違いを認めることで名前に傷がつくことが許せない」という理由の方が強そうな感じではある。

まあいずれにしても「リスクがあるからやらないはずだ」という理屈は「リスクかどうかわからない」とか「そもそも(名前を晒していようが)リスクがない」という人間や、あるいは「俺は真実に目覚めた正義の味方であり、反対する奴らは悪の手先である」と考えるタイプには通用しない。もちろんそれは以前からそうだったと思うが、昨今の「各種ソーシャルサービスで個人情報をバンバン公開しちゃおうZE!!」ブームでより一層明らかになったのかな、と下の記事を見ながらぼんやり思った。

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2012年04月17日

Twitterはなぜ「バカ発見器」になるのか

1. 投稿までのハードルが極端に低い

Twitterというサービスの基本は「今何をやっているかツイートしよう!そして思っていることを今すぐフォロワーのみんなに知らせよう!!」というものになっていて、発言のハードルをほぼ限界まで引き下げている。ブログのような記事タイトルの設定も投稿プレビューもなく、そもそも140字しか書き込めない。結果としてTwitter社が望むように多くの人が「脊髄反射的に行動や思考を垂れ流す」という使い方をしているので、当然発言のリスクについて考える時間や機会がほとんどなくなってしまう。

例えばブログだったら執筆中に「こんなこと書いて大丈夫かな」とか「プレビューでちょっと読み返したらここは書くべきじゃなかった」などと投稿前に気がつけたかもしれないのに、手軽さと引き替えにTwitterではそのようなチャンスがなくなっている。要するにリアルタイム性が上がるほど発言量と脇の甘さが増大しやすくなるため、不用意な発言をするリスクもそれに比例するような形で上昇していく。

2. すぐ流れて消える(見えなくなる)という安心感

Twitterはフォロー数と自分のツイート数が多ければ多いほど投稿がすぐに下に流れ、表示されなくなっていく。実際は見えにくくなるだけで消えてはいないし、探そうと思えば誰でも過去ログをたどっていけるが、そこを意識している利用者はかなり少ないようだ。なんせたった1週間前ぐらいの投稿でも“昔のツイート”扱いしているのが珍しくない。

この「どうせ消える」「前の発言なんて誰も読まない」という根拠に乏しい安心感により、さらにリスキーな発言をしてしまいがちになる。

3. 誰でも読めるのに「知り合いにしか見られていない」感がなぜか存在する

Twitterには細かい公開範囲の設定方法がなく、基本的に全公開か承認されたフォロワーだけが読めるプロテクトモードしかない。(Blockはできるがログアウトすれば普通に読めてしまう。)にも関わらずTwitterはなぜかSNS扱いされることも多く、サービス方針の「身近なことをどんどん書き込んでください」とセットになって、ネット中にだだ漏れなのに「知人や近い知り合い以外に読まれると危険なこと」でも平気で書いてしまう事例がよく見られる。

ただし、ここで注意しないといけないのは、Twitterは「見られてない感」はたしかにあるけれど、まるっきり見られていないわけではないということで、これがいろんな炎上とかのきっかけにもなっている最大の問題なんだろうな。

Twitterはリアルタイム検索もされるし、RSSまで出てるんだから、実際には「見られまくり」のはずだ。見られまくりにもかかわらず「見られてない感」がある。これはプライバシーコントロール上ではいちばんにタチが悪いかもしれない。

ひとはなぜフェイスブックで「いいひと」を演じてしまうのか問題 - night and sundial

構造的にはかつてよく話題になった「mixiの犯罪(武勇伝)自慢」とまったく同じなのだが、まがりなりにもそれなりの公開範囲設定ができるSNSではなく、全公開がデフォルトのサービスでやらかしてしまう点が異なっているとはいえる。

4. 抗いがたい「リアルタイムフィードバック」の快感

Twitterは投稿がリアルタイムならば、反応もリアルタイムになっている。投稿直後からフォロワーによってFavやRTなどの反応がおこなわれ、それは個別のツイートページやアプリ、Webサービスなどによって確認できる。

このような状態の中で常に冷静でいるのは、実は想像以上に難しい。多くの人がよりウケ狙いの、反応がよくて過激な発言をしてしまいがちだ。ましてや「3」のような「身内・親しい人か見ていない」という間違った先入観の中で行動していれば、なおさらそうなってしまう。

5. Twitterそのものが未だにブームの過程であること

TV・雑誌・新聞などのオフラインメディアでブームが伝えられれば、当然「ネットの基本的知識・ルール」もよくわかってない人間が続々参入してくる。上記の1〜4は基本的に「Twitter投稿のリスク判断を誤る」という話だったが、それ以前の「不特定多数が自由に閲覧できるネットに何を書いたら危険か」という根本的な部分すらあまりわかってないレベルの人が相当数増えたはずだ。

おまけに利用者という母数増えれば問題を起こす人間も自然と増えるわけで、致命的なことをやらかす人間の発生率がそう変わらないとしても、実感として「アホなことやらかすバカが急増中!」という風に見えてしまう。

6. ワンクリックでいくらでも発言が拡散していくRTの存在

恐らく今のTwitterではこの影響が一番大きい。なにせどのツイートでも1クリックでフォロワーに拡散できるので、たまたまフォロワー数が多いアカウントに発見されれてしまえば、本人のフォロワー数など全然関係がない形でツイートは広まっていく。慌てて消そうが非公式RTされた時点で管理の手は及ばなくなるし、そもそもその手の“話題になる”投稿ならとっくにコピーや転載が出回ってるだろう。発見された「面白い」ツイートはクラスタどころかサービスの垣根さえ越え、ネット中で話題なってしまう。

実はこの「RTの発明」が起こるまで、Twitterはリアルタイム性こそ高かったが情報の流動性はそこまで高くなかった。投稿可能文字数が少ないので「引用 + URL」というWebの定番の方法をとるのが難しく、またフォローしない限り無関係なアカウントのツイートを見る機会そのものが少なかったので、自分フォローの範囲外では何が起こってるのか、かなりわかりづらかったのだ。

ところが最初は非公式、そして公式RTが発明・実装されたため、情報の流動性が飛躍的に高まることになった。結果として(自分にとって)広がってほしくないような発言も、あまりにもあっさり垣根を越えて広まってしまうようになっている。

結論

近年のTwitterは「失言しやすい構造上の問題」+「利用者の急増」+「RTによって短時間でツイートが爆発的に広まっていく」というコンボで、“炎上するような発言”や“頭の悪い放言”をするアカウントが極めて観測しやすい状態になっている。正確には「バカ発見器」というより「失言高速拡散器」あたりが実態に近いと思うが、その辺は呼び方の問題だろう。いずれにしても「お手軽・簡単に発言できる」は「お手軽・簡単に失言できる」ということだし、「情報がリアルタイムで一気に拡散していく」は「炎上ネタもリアルタイムで一気に拡散していく」になってしまうわけだ。

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