2012年04月12日

“映画のようなゲーム”を極めた先にあったもの 「L.A.ノワール」

発売してからずいぶん経ってしまったが、執筆時点でのロックスターゲームズの最新作「L.A.ノワール」の感想。本編にDLCコンテンツを追加させた状態でオールクリア済み。ただ今作のDLCはシナリオといくつかのアイテムを追加するだけでゲーム的な変化はないに等しいため、文中では特に区別していない。

ちなみに固有名はあげてないがネタバレしてるので、気にする人は読まないことをおすすめする。

L.A.ノワール (初回生産特典:「The Naked City」ダウンロードコード同梱)【CEROレーティング「Z」】

概要

L.A.ノワールはロサンゼルス市警の刑事(ゲーム開始時点では制服警察官)「コール・フェルプス」を操り、欲望渦巻く1947年のロスで起こる事件を解決していくアドベンチャーゲーム。ゲーム世界はオープンワールド(箱庭)で視点は三人称(TPS)と、ロックスターお得意のシステムとなっている。特にゲーム内で高度に再現された美しい町並みの1940年代末のロスは、制作に多額の予算と大量の人員がつぎ込まれたことが一目でわかり、超大作ゲームの呼び名に恥じない作りだ。

まあわかる人向けに言えば「GTAのシステムに乗っかった推理ADV」に近く、少なくともゲームの見た目だけならそのような想像で間違ってはいないと思われる。

グラフィック

「素晴らしい」の一言に尽きる。同じくオープンワールドタイプの前作レッド・デッド・リデンプションをさらに上回る「世界の作り込み」が各所で見て取れ、手抜きらしきところはほとんど見あたらない。各種モニュメント、摩天楼、住宅街、郊外の森林……とどこへ行っても現行の据え置きゲーム機における最高峰のグラフィックを見せつけてくれるため、端から見て「こんなに金がかかってていいのか」と思えてしまう。

もちろん建物だけでなく敵味方となる人間や重要な足となる自動車、各種武器、そして小道具なども十分すぎるほどのクオリティを達成している。これはゲーム全体の「雰囲気作り」に非常に貢献していて、映画のジャンルのひとつであるフィルム・ノワールを極めて強く意識した(というかそのままな)タイトルが名前倒れで終わっていないことがわかる。

ゲーム的な面から見てもGTAでありがちだった「(恐らくメモリの関係で)同一種の車や人間ばかりが表示されて不自然」という点も若干緩和され、パッと見たときの不自然さも減少している。街中では歩行者は車が突っこんでくれば結構本気で逃げるし、車道沿いにあるオブジェクト(ベンチやゴミ箱)は小気味よくバラバラになったり、吹っ飛んだりと極端な変化はないものの全体的にGTA4からの順当な進化は感じる。

グラフィックや演出という点では、2011年現在なら全力で満点を付けてもいい出来だ。

ゲームシステム

映像面では褒めてきたが、ここからは雲行きが怪しくなってくる。

前述のとおりにL.A.ノワールはGTAと同じのオープンワールドゲームながら、ゲーム自体はステージクリアタイプの「章立て」で進む。基本的にどのステージ(ゲーム内では「CASE」と呼ぶ)も

  1. 署内で事件発生を知らされ簡単なブリーフィング。(省略されることもある。)
  2. 事件現場に移動。(同上。)
  3. 現場検証をおこない検死官や警官、目撃者に聞き込み。
  4. 関係者宅などに移動し、証拠集めと聞き込み。
  5. 被疑者逮捕。(射殺等で省略されることもある)
  6. 被疑者を尋問し自白させ(しない場合もある)、起訴。

という流れで、特に必ず何度も繰り返す4.がゲームのキモになっている。途中で銃撃シーンやカーチェイス、尾行等が比較的頻繁に挟まるが、これらの捜査方法自体は最後まで変化することはない。規定数のステージをクリアすると「別の部署へ異動」となり、次の章に進みまた同じことを繰り返すという形だ。

シナリオ上選択肢はいくつがあるが、大きなストーリーの分岐やマルチエンディングのたぐいは一切はない。DLCを購入すると途中でその導入したステージ(CASE)が追加されるが、それ以外は誰がやってもおおむね同じ流れで進む。このあたりもロックスターらしいと言える。(いちおうGTA4では微妙なストーリー分岐は盛り込まれたが……。)

「オープンワールド」なのだが……

最初に断っておくと、事件の最中でもロス(箱庭)自体はいくらでも散策できるが、それによって捜査自体が影響受けることはない。数回だけ例外として「一定時間内に目的地に到着しないと人がいなくなって、若干捜査手順が変わる」というのがあるだけだ。

いちおうマップにはいくつかのミニクエストや隠しカーが用意され、定番の収集系のアイテム(DLCでもう1種類追加できる)が設置されていて探せるが、それ以外に出来ることは非常に少ない。

何せ警官なので通行人を自由に殴ったりはできないし、無差別発砲なども当然できない。車で暴走するのはGTAに引き続き可能だがステージ中は明確にペナルティが付き、ステージクリア後にリザルト画面でスコアを減らされる。車は強引に借りられるが職務権限でやるし、人を轢いてもあくまで事故扱いなので警察が襲いかかってきたりはしない。

さらに捜査に無関係な建物にはまったく入れない。そもそも店という概念がないので何か買えたりはしないし、お気に入りの車を自分用のガレージに入れたりもできない。事件現場や関係者宅にはほぼ車で移動するが、道中(ミニクエストが始められる以外は)何もないため自分で運転する意味はない。というかむしろ運転して事故が起こるとこれもリザルトでペナルティになるので、相棒に車を任せて瞬間移動した方が有利な始末。GTAはオープンワールドながら(特に3や4は)そこまでできることが多くなかったが、L.A.ノワールはそれに輪をかけて自由な行動は制限されている。

正直なところ「何でもあるが、何もできない」という言葉が頭に浮かんでしまうような感じだ。

一見凄いが実はあらが目立つ「尋問」 証拠集めは前世紀レベル

ゲーム内でおこなう「捜査」は実はかなり地味だ。これは「警察の捜査だから地味(地道)」という意味ではなく、ゲームシステム自体に起因する。

ステージが始まり事件現場に移動すると、基本的にやることは以下のふたつしかない。

  1. 関係者から話を聞く。(尋問)
  2. 地面に転がっている証拠品を探して調べる。

1.はこのゲームの売りのひとつとなっている「尋問」で、これは高度に再現された登場人物の表情から“嘘”を見抜き、それを追求して事件の真実を明らかにしていくという触れ込みだ。確かにCGによる見事な造形と、実際の役者からモーションキャプチャした表情は驚くほどリアル。顔のモデリングには相当な手間をかけているのがわかるし、全編を通して極めて現実寄りの作風なのでシワまでばっちり。さらに日本語吹き替えではないのでリップシンクも完璧だ。

とはいえ動きも含めると話は違ってくる。どうにも嘘をついているときにはあからさまに不自然すぎるのだ。もう表情がどうのと言うより、ほとんど横を向くまで目をそらしたり、完全にうつむいてしまったり、挙動自体が急に不振になったりと「表情を読む」どころではないのが珍しくない。アニメ世界だったら手作り弁当をもってきたのに「あんたのことなんか全然興味ないんだからね!!」といってるレベルだろう。恐らく難易度的な問題からわかりやすさを優先したのだろうと推測するが、これだと「役者を使った〜」という売り文句の前に「相当オーバーアクションな」と付けた方が良かったように思える。

さらに別の問題もある。前述のとおりに嘘自体はかなり見破りやすいのだが、かなりの頻度で「その先どうしたらいいのかわからない」という状態に陥る。尋問時に自動で用意される質問を投げかけた結果として先ほどのリアクションが返ってくるのだが、それに「信じる」「疑う」「反証する」のいずれかの対応をするとひとつの質問が終わる。

信じるはそのまま、疑うは「根拠はないが信じない」、反証するは「手元の証拠を突きつけて反論する」なのだが、疑うと反証するの区別が非常に付きにくい。翻訳の問題なのか事前の会話からこの部分を読み取ることが難しく、特に「反証する」は証言に合わない証拠を一覧からちゃんと選ばないといけないのだが、これが「どれだかわからない」「明らかに矛盾するのに取り合ってくれない」というのが珍しくない。

結局推理どころか単にリアクション芸で見破って、反証を選び反応を確認し(反証するを選ぶとその時点で相手が反応して様子を見られる。実際に証拠を選ばなければキャンセルできる)、カンで疑うか反証するか選ぶ……という形になりがち。技術的には凄いのかもしれないが、どうにもこぢんまりと収まっている感が否めない。おまけにミスると二度とやり直しはきかず、嫌なら昔懐かしいリセットを使うか、ステージを最初からやり直すしかない。

まあ良い点もある尋問はまだいいとして、2.の証拠集めは正直どうしようもない。基本的にどこへ行っても「証拠品があるらしきところにキャラを移動」 → 「拾えるものがあると音と振動で反応(これはOFFにもできる)」 → 「ボタンを押すと拾って調べる」の繰り返しだ。ゲーム的な何かがあるとすれば「現場にはハズレ品(ガラクタなど)もあるから、全部拾っても意味がない」という程度で、まさにフラグ立てのためにそこらを適当にうろつき回る作業で終わっている。

昔のADVは「矢印を移動させて証拠品がありそうなところをとりあえずクリック」というのが定番だったが、これが3D画面で構成されているだけのような、まるで化石のような仕様の古さだ。証拠品を探して主人公が無意味に壁沿いをノロノロと歩いている姿は、ドットのマウスカーソルがリアルに再現された3Dポリゴンの人間に置き換わっただけかのような、20世紀感溢れる趣を醸し出している。

つまり全体的なゲームの流れは「大昔さながらのアイテム探し」 → 「リアクション芸で正解の選択肢にアタリを付けて選択」という作業を淡々と繰り返していくことになる。しばらくの間は圧倒的なグラフィックと演出、そしてストーリーでそこそこ楽しいのだが、慣れてくるとどうしても単調さが気になってくる。途中で銃撃シーンやカーチェイスが結構頻繁に挟まれるのだが、これすらも中盤以降マンネリ化していって根本的解決になっていない。「警察なんて実は地味。日々同じことの繰り返しなんだ」ということなのかもしれないが、これはゲームなのだからもう少し何とかしようがあったのではないか。

証拠を使って謎を……解かなくても良い

前述のとおりに尋問はミスが許されず、一回正解を逃すとその質問項目は失われてやり直すことは出来ない。でも実はそんなことはほとんど気にする必要がない。なぜならいくら失敗しようがほぼ展開は変わらないし、絶対に犯人は捕まるし、謎を自力で説かなくても何のデメリットもないからだ。(CASEによっては、多少のシナリオやセリフの変化は発生する。)いちおうステージクリア後のリザルト画面で表示される星の数と簡単なメッセージが変わるが、本当にそれだけ。ステージによっては被疑者が複数いて好きな奴を告発できるのだが、それすら正解でなくても問題ない。「謎を解けなきゃ犯人が!」的な緊張感は皆無と言える。

またそれと同時に、前述の銃撃シーンやカーチェイスは数回失敗すれば飛ばすことができるようになっている。これはGTAと違いADVというジャンルであるため、アクションシーンが苦手な人でも進めるようにした結果だろう。ところがこれが輪をかけて緊張感の低下を招いている。なんせ銃撃シーンやカーチェイスはどの章のどのステージでやってもほぼ同じ流れであるため、飽きが来るのが早い。正直なところ、意図的に失敗して飛ばしてしまった人もかなり多かったのではないか。

この「何をやっても変化が起きない」仕様に特に大きな疑問を感じるようになるのは、中盤の殺人課が始まってからだ。この章はメインストーリーを外れてある連続殺人事件を追うことになるのだが、ここで延々と誤認逮捕・起訴を続けることになる。(終盤でも同様の流れがある。)

せっかく作り込まれたオープンワールドがそこにあるのに、決まったところにしかいけず、決まった流れにしかならず、決まった人間しか捕まえられない。普通考えるなら箱庭の自由度を使って「先回りして犯人の裏をかく」「現場で証拠の再検証」「待ち伏せして逮捕」などがあってしかるべきのように思えるが、そんなものは一切ない。むしろ待ち伏せ場所にホイホイ(というか無理矢理)行っちゃうぐらいである。

結局どこまで行ってもドライブとミニクエスト(おおむね銃撃戦とカーチェイスと追いかけっこ)のためにしかこの「世界」が生かされておらず、「技術の無駄使いとはこのこと指すのか!」的な気分にすらなってくる。

ストーリー

昔あった実在の事件を元ネタにしているだけあって、引き込まれる話が多い。ミステリの典型なような殺人・失踪、汚職・腐敗、薬物、猟奇殺人、人情もの……とバリエーションは豊かで、全体でみればボリュームも比較的大きい。「警察が動いている時点ですでに事件は起こっているため、ハッピーエンドはあまりない」という点でも、Z指定に相応しいような大人向けの内容とも言えるだろう。

全体を流れるメインストーリーは「主人公 コール・フェルプスの過去にケリを付け、ロスにはびこる権力者達の巨悪を暴け!」という王道なもの。したがって目新しさはほとんどないが、変に奇をてらわなかっただけ安定した、ゲーム全体の雰囲気にマッチした仕上がりになっている。

ただ前述の「ほぼ完全に固定化された自由度がない展開」と、ゲーム終盤に唐突に起こる主役交代劇だけはどうにも納得できなかった。散々「コール・フェルプス」としてプレイを続けてきたのに、最終盤とエンディングは別のキャラで迎えなくてはならないのだ。いちおうストーリー上で交代の理由付けはしているが、どうにも不可解に思えてならない。恐らくエンディングの関係でこうなったのではないかと思う。

またゲーム内で「事件の基本は地道な捜査」「警察としてむやみな発砲は控える」「アクションシーンは下手なら飛ばせる」という作りをしておきながら、最終ステージは結局暴力(ドンパチ)でカタを付けるというのはどうなのだろうか。これが最初から最後までほぼバイオレンスで解決するGTAなら何の問題もないだろうが、この作品で「最終的な盛り上がり=トリガーハッピー」になってしまったのはどうにも疑問が残る。

「このゲームシステムを作ったのは誰だあっ!!」

このゲームを通してプレイした後に感じるのは「全体のバランスがあまりにもちぐはぐだ」ということ。グラフィックや演出、世界(箱庭)の作りは超一級品なのに、それを生かすためのゲームシステムそのものがあまりにも古くさく、旧世代的で、練り込み不足になっている。また、システム・ストーリーの両方で徹底している「自由度の低さ」が、オープンワールドの良さをほぼすべてスポイルしまっていて、本当に箱庭が必要だったのかすら怪しい。結果としてパーツごとのクオリティは桁違いに高いが、全体としてみると「うーん」と首を捻るレベルになってしまっている。

言ってみれば「最高級の食材、国宝級の皿、超一流のシェフを投入したのに、出てきたのはなぜかファミレスのハンバーグセット」という感じだろうか。システムさえ一皮むけた“次世代”のものを用意できれば、今までADVの常識を遙かに超えたゲームすら狙えたように思える。とにかく感想として「あまりにも惜しい」と言わざるをえない。

もしロックスターゲームズがセガの「シェンムー」を作ったら

個人的にこのゲームをプレイしていて思い出したのは「シェンムー」だ。そう、70億円もの予算を投入し、セガのドリームキャストの救世主として期待された“あの”シェンムー。

シェンムーは1999年に発売されたとは思えないような先進的なシステムを備えていた。フルポリゴンで細部まで再現された横須賀(の一部)、朝から夜まできちんと描写される時間の流れ、現実の天気を参考にした天候の変化、NPCごとに個別に設定されている生活のリズム、脇役まで含む全キャラフルボイス、ゲーム内ゲームとして移植されている「アフターバーナー」などなど……。これらは発売前に大きくフィーチャーされ、期待を煽る要素となった。今考えれば、当時これだけのものを盛り込んだなら(宣伝費を含めても)70億円という予算もそれなりに納得できるかもしれない。

ただ残念なことにこれらの「先進的なシステム」は、ゲームの本筋自体に絡むものではほとんどなかった。ゲーム自体は「TPSのフラグ立てADV+たまにバーチャ風格闘ゲームが挟まる」という感じで、横須賀の町並みも、天気も、NPCの生活リズムも、フルボイスも、それ単体では非常にクオリティが高かったが、ゲーム内で有効利用されていたとはあまり言えない。(いちおう「会いたい人の活動時間まで待つ」というのはあったが。)

この「自由に何でもできそうな世界があるが、実際にできることはかなり少ない。金をかけて作ったはずの要素が、ゲーム内で噛み合っておらずほとんど生かされてない」という「もったいなさ」を、L.A.ノワールをプレイしていて思い出してしまった。

ちなみにロックスターゲームズの大出世作GTA3は、このシェンムーの影響を強く受けているらしい。

そう考えると十年以上の時を経て「ロックスターがセガに追いついた!やっとシェンムーの時代が来たよ!」という感じで感慨深さもひとしお……となるような気がしないでもない。

「L.A.ノワール」という映画を完成させろ!

L.A.ノワールを一言で表せば「まるで映画のようなゲーム」だ。これはプレイステーション時代から散々使われた大げさな売り文句やお世辞ではなく、「本当にそうだ」ということ。このタイトルを含め、ゲームコンセプトも間違いなくこれだろう。少なくともその目的は十分達成されていると思う。

だが「映画のようなゲーム」には、今までにも散々「見た目と雰囲気だけ。CGばっかり力が入って、ゲーム内容がおざなりで進化がない」という批判がされてきた。国内のゲームであげるなら7以降のファイナルファンタジーはずっとそういう叩かれ方をされてきたし、もっと大ざっぱに国内ゲーム全体をこんな形で叩く風潮もあった。また、そもそもそういう批判をするために、およそ映画にはほど遠くても「映画みたい」と皮肉混じりで表現していた場合もあるかもしれない。

だがこのL.A.ノワールはその辺りの"エセ映画のようなゲーム"とはまったくレベルが違う。莫大な予算と人員、時間をかけてロックスターゲームズが本当に「映画のようなゲーム」を本気で作ったのだ。そして「見た目と雰囲気だけ〜」という批判の内容すらそのまま具現化してしまった。まるでコントのようだが、これは現実である。

いや、言ってみればこのゲームそのものが「映画撮影シミュレータ」のようなものかも知れない。プレイヤーは「コール・フェルプス」ではなく、映画を完成させるために「コール・フェルプスという"役"を演じている役者」を操作(プレイ)しているのだ。外に出て何もできないのも、選択によってストーリーに変化がないのも、自由に暴れられないのも、誤認逮捕を続けなければならないのも、事前に用意された台本があり、監督がその逸脱を許してくれないからではないか。もちろん役者の本分は「脚本に沿って役を演じる」ことであり、勝手なことをすれば途中でカットされるし、度が過ぎればクビになる。せいぜい多少のアドリブが限界だろう。

であればカーチェイスや銃撃シーンを失敗すれば飛ばせるのも理由がわかる。要するにそこだけ代役を立てたか、スタントマンを使ったのだろう。運動神経の悪い役者と一緒に作品を完成させるため、監督が手を回してくれたのだ。まったくありがたいことである。

要するにL.A.ノワールはADVではない。そう、実は本来の意味のRPG、つまり「ロールプレイングゲーム」で「役割を演じる」ゲームなわけだ。しかも「ゲームの主人公」ではなく「(ゲームの)主演男優の役割を演じる」というメタな視点での。サカつくが「プロサッカークラブを作ろう」なら、L.A.ノワールは「プロ役者を演じよう」と言ったところか。

おまけに終盤には前述の主役交代まで起こるため、「大人の事情による役者交代の当事者」という追体験までさせてくれる。最初は「コール・フェルプス」が主人公であったはずなのに、最後まで彼を演じることすらできない。ゲーム内でも「ハリウッドに食い物にされた被害者」が出てくるが、実は他人事ではなかったというわけだ。

良かったかは別として「映画のようなゲーム」のひとつの到達点ではある

通常、否定的な意味での「映画のようなゲーム」とは、「ムービーシーンが長すぎ(て操作できる時間が短い)」とか「デモ部分とゲーム部分のクオリティに差がありすぎ」などのいわゆる「ムービーゲー」などを指すと思う。ところがこれはそんな手抜き作品ではない。なぜならこれは「隅から隅までムービー(映画)のゲーム」なのだから。

大して乗る機会がない多種多様な車も、ちょい役なのに異常に作り込まれたキャラクターも、そして作り込まれたオープンワールドすらも、このL.A.ノワールにかかっては単なる小道具やセットの一部でしかない。本来なら書き割りのような「見える部分だけ」を作ればよく、多くの映画やゲームはそうしているが、あえて街ごと作ってしまったのだ。

そして「操作できないのが不満なら操作できるようにすればいいじゃない」とでも言いたいがごとく、ムービーシーンを延々と操作し続けて話を完成させるゲームとでも言えるような代物になってしまった。ある意味ロックスターゲームズでしか作り得ない、"もの凄い作品"であったと言えると思う。ビジネス的には400万本出荷ということで大成功ということだと思うが、個人的にはこのままの形の続編が出ても購入は遠慮したいところだ。

ちなみに出荷しすぎて余りすぎたのか、現在L.A.ノワールは各方面でPS3・Xbox360版とも大きく値下がりしている。フルプライスではどうにもすすめにくいが、現在の価格なら特典がついた新品ですら相当手が出しやすい。真の「映画のようなゲーム」を体験してみたいなら、買ってみて恐らく損はないと思うのは皮肉や冗談ではなく本心である。(注 : これを書いたのは2011年で、2012年の今は時間が経ったのもあってさらに安くなっている。)

 

(これも余談になるがXbox 360版は容量の問題でディスクが3枚組になっていて、クリア済みのエピソードをやり直す時などにDVDを入れ替えるのが若干面倒に感じた。もし買うならPS3版の方がストレスがなくていいかもしれない。)

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2010年04月23日

若者のドラゴンクエスト離れ

上の話を読んでいて思ったのは、恐らく今の10代にとってドラクエは(昔に比べて)そこまで影響力を持たなくなったんじゃないの?ということ。とりあえずすぐに思いつく理由は二つ。

一つはRPGというジャンルそのものついて。(初代)ドラクエは日本人にRPGという存在自体を広めたエポックメイキングなソフトだけど、今の10代にとってはRPGなんて「生まれたときから存在するもの」だ。ドラクエはシリーズが進むごとに新作のリリース間隔が非常に長くなっていって、「RPGというジャンルへのファーストコンタクトがドラクエシリーズ」なんて人間の方が多分少なくなっている。

人間は最初に出会ったものとか、子供・青春の頃に熱中したものを非常に美化したがるから、一定の世代以上にとってドラクエの存在は非常に大きくなっているはず。でも今の10代は「生まれた頃からRPGというジャンルが確立していて、しかもライバルも山のようにいる」状態で育ってきている。もちろんいったん発売されればお祭り騒ぎになるぐらいの知名度なので、プレイしている可能性は高いだろうけど、直撃世代と同じほどの執着や愛着を持てるとはちょっと考えられない。ドラクエはあくまで「RPGの中の選択肢の一つ」ぐらいにドライに考えていても、全然不思議はないように思える。

もう一つも世代的な話になるけど、そもそも(今の10代は)「ドラクエの洗礼をどれだけ受けられたのか?」ということ。上でもちょっと触れたけど、ドラクエはある時期から開発期間が異常に長くなり始め、「ハード1世代の寿命を使い切って新作1本」という"超大作ゲーム"になってしまった。いくらゲーム自体の出来が良くても、直撃世代のように「成長や進学と寄り添うようにドラクエが発売されてた」みたいな状態とはまったくわけが違う。

「具体的にどれほど違うのか?」をまとめたのが以下の表。今回話題になった1991年生まれの19歳が世代的に(さすがに1995年発売のドラクエ6は無理だろうから)小学3年生でドラクエ7と初対面しているので、同じように小学3年生で初代ドラクエが発売された1977年生まれを「直撃世代」と仮定して比較してみた。

学年1991年生まれ直撃世代
小学3年生ドラクエ7(2000/8)ドラクエ1(1986/5)
ドラクエ2(1987/1)
小学4年生-ドラクエ3(1988/2)
小学5年生--
小学6年生-ドラクエ4(1990/2)
中学1年生ドラクエ8(2004/11)-
中学2年生--
中学3年生-ドラクエ5(1992/9)
高校1年生--
高校2年生--
高校3年生ドラクエ9(2009/7)ドラクエ6(1995/12)

見ての通り、1991年生まれは高校3年までに3作しかリリースされていないが、直撃世代は6作と2倍もの差が出ている。しかも(多少誕生年がずれたとしても)直撃世代が小学生時代をドラクエと共に過ごしているのに比べ、1991年生まれは最初が小学3年、次が中1年、最後が高校3年と、シリーズとして熱中し続けるにはあまりにも空白の期間が長い。もちろん旧作のリメイク作やスピンアウト作品は間に何本も出ているけど、ナンバリングシリーズの新作ほど盛り上がらないのは説明しなくても大概の人がわかっていることだろう。

要するに「ドラクエは自分にとって非常に特別」と感じるような下地は昔に比べればずいぶん減っていて、それによって(販売本数や商売・流通的な話を抜きで考えれば)ドラクエの若者への(心理的な)影響力が落ちていた。結果として「クリエイター・堀井雄二」の知名度も低下したが、それは別に不思議なことでははなかったのでは、という話。もちろん世代間云々の話じゃなくて単に「面倒だから手を挙げなかった」という可能性もあるだろうけど、話としてはずれるからここでは触れない。

ちなみに記事のタイトルについて触れておくと、9の例を見てもわかるように(どの年代にどれほど売れてるかは不明だけど)本数的にはバカ売れしているので「若者の方から」離れているということは、恐らくない。(このページによると、9は大ヒットした3をも超える415万本以上も売れている。)ただし開発期間はシリーズ4〜5を境に急激に伸びているので、むしろ「ドラクエの方が若者から離れている」と言えるかもしれない。何せ8から9は発売期間が実質的に5年ほど空いていて、この時間は子供や若者にはあまりにも長い。

このペースだと「2〜3作プレイしていたら、いつの間にか(年を食って)若者じゃなくなってた」という意味での「若者離れ」になってしまいそうなので、もう少し開発ペースが上がって若者離れを防いで欲しいですね、というのをオチにしてとりあえずエントリを終了しておきたい。

タグ:ゲーム ネタ
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2009年08月25日

マジこんぼ 第x1A話 「究極 vs 至高! マジコン史上最大の戦い!」

病室にて

栗田「京極さん!元気そうでなりによりです」

京極「いやあ、我ながら大失敗や。階段を転げ落ちて怪我して入院とは。やっぱり年には勝てませんかな」

山岡「まあ良かったじゃないですか、脚を捻っただけで。その年ならそのままポックリ逝ってもおかしくないですよ」

京極「他人ごとと思ってええかげんなことを……。まあ見舞いに来てくれたことを感謝して、この件は不問にしますわ」

栗田「ところで京極さん、入院生活で何か困っていることはないんですか?できることなら協力しますよ」

京極「そうやなあ……。ああ、病院の食事が口に合わないのをのぞけば、とにかく暇なのが問題やなあ。何もすることがないんや」

山岡「ああ、そう思っていいものを持ってきましたよ。暇な入院生活にぴったりの品です」

京極「ほう……。これは……」

山岡「DS本体とマジコンです。ROMもたっぷり入れておきましたから、いくらでもタダゲを楽しめますよ。今や老若男女問わず人気の品です。TVにも出演したぐらいですから」

栗田「山岡さん、それってこの前言っていたあれですか?」

山岡「うん、そうなんだ。信頼できる店に注文してた品で、昨日届いたばかりさ。当然そのあと自分でもチェックしたけどね」

京極「へ、たかだかマジコンに何か違いでもあるんでっか?どこで買っても同じやないやろか」

山岡「いや、それが全然違うんだ。このマジコンは正真正銘『本物』のマジコン。そこらで売ってる『偽物』のマジコンとはわけが違う」

栗田「ええ!アマチュア開発者や早熟の天才には欠かせない上に、タダゲーも楽しめるマジコンにも『偽物』が出回ってるの?」

山岡「そうなんだ。マジコンは中国の工場で作られてるんだけど、正規の製造元ではない工場が勝手にデッドコピーを作ってる。これが『偽物』さ。さらにそれを悪徳バイヤーが安価で『本物』として流通させている。まったくひどい世の中だよ」

栗田「人のものを勝手にコピーして売りさばくなんて、人間としてサイテーね!クズの中のクズだわ」

京極「最近は金をケチることと自分のことしか考えとらん、下劣な品性の奴らが多すぎるんや。もっとゲーム業界全体のことを考えんと、ゲーム自体が滅びてしまってもええんかいな」

栗田「でも、もし値段が安くて問題なく動くなら、やっぱり惹かれるものがあるわね。安さの魅力というのもあると思うわ」

山岡「いや、そう簡単な話じゃないんだ。偽物はDSiで動くように見せかけて実は動かなかったり、正規品のファームウェアを入れると壊れてしまうものもある。場合によってはDS本体を破壊してしまうこともありえるんだ。更に問題なのは、販売している店ですら偽物と気が付かずに売っているのが多いこと。世も末だね」

京極「でも、山岡さんがその手に持ってるのは本物でっしゃろ?」

山岡「もちろん本物さ。このマジコンは『確実に安全と言える1本のルート』で仕入れているからね。具体的には 製造工場 → 中国のバイヤー → 省略 → ショップという流れなので、安全性には自信があるよ」

栗田「まあ!『省略』の部分が不明すぎてさっぱりわからないけど、とにかく安心したわ。これなら安全ね!」

山岡「それでは京極さん。この本物のマジコンとDS……言ってみれば『究極のマジコン』を置いていきますので、入院生活の暇を……」


コンコン ガチャ!


海原「話は聞かせてもらったぞ。士郎」

山岡「海原雄山!!どうしてここに!」

海原「いやいや災難でしたな、京極さん。しかし、大した怪我でなかったようでなによりです」

京極「海原先生!わざわざご足労をおかけして恐縮です」

海原「いやなに、京極さんが怪我をしたとあれば見舞いをするのは当然のこと。少々道が混んでいて遅れたせいで、目の前の目障りな俗物に会う羽目になった以外は、なんてことはありません。私は常々『馬鹿どもに車を与えるな』と言っているのですが、今日はそれをあらためて実感しました」

山岡「なんだと!」

海原「ところで京極さん、聞いたところ入院生活で暇をもてあましているとのこと。お見舞いを兼ねて、『至高のマジコン』をここに持参しました」

栗田「し、『至高のマジコン』?!」

京極「え?いや、しかし、マジコンなら先ほど山岡さんが私に『究極のマジコン』を……」

山岡「そうだ!海原雄山!!京極さんはすでに『究極のマジコン』を持っている。お前のマジコンなんかに出る幕はない!さっさと持って帰れ!!」

海原「『究極のマジコン』……?ふっ、それほどのマジコンを士郎が用意できますかな。ただの大口……いや、放言にしか思えませんな」

山岡「なにっ!?もう一度言ってみろ!!」

京極「いやいや!私のことでケンカはやめてください」

栗田「や、山岡さん。そろそろ失礼しましょう」

海原「何度でも言ってやろう、士郎。ろくにマジコンのことを知りもしない男が、好き勝手に大口を叩いて大恥をかいているだけだと言ったのだ。このまま京極さんがゴミのようなマジコンで満足されるのは、あまりにもしのびない」

山岡「ふざけるなっ!!マジコンのことは十分に勉強した。どんなマジコンが本物か、十分に知っている!安心できる仕入れルートと、信頼できる販売店。これ以上何がいると言うんだ!!」

海原「ほほう、安心できる仕入れルートと、信頼できる販売店だと?大事なことがまったくわかっていないようだな」

京極「ちょ、ちょっと待ってください。それでは、お二人のマジコンをここに出してください。どちらのマジコンが優れているか、私がここで判定させてもらいます!」

山岡「ふん、いいでしょう。そこの老害が何と言おうとも、このマジコンに死角はありません。ほえ面をかくのはその男です」

海原「……」


栗田「それではまず山岡さんのマジコンから……」

京極「うん!これは楽しい。SDカードから読み込まれるタダゲーの数々!この醍醐味は購入厨には味わえませんわ。自然と『購入厨ざまあwww』という感覚が満ちあふれてきますな」

山岡「当たり前です。『本物』のマジコンですからね」

栗田「なんの問題もないマジコンね。普通に使えているわ。これ以上のマジコンを海原雄山はどうやって用意したというの……」

海原「私が持参したマジコンはこれです。どうぞ使ってみてください」

山岡「ふん、普通のマジコンじゃないか。何が違うというんだ」

栗田「違いがわからないわ。これは引き分けかしら」

京極「うん……ほう……これは……!!」

山岡「?!」

京極「………… ……… …… …」

京極「なんちゅうもんをプレイさせてくれたんや……なんちゅうもんを……。こんな動作がスムーズなマジコンはプレイしたことがない。おもろい、ほんまおもろい……。これに比べると山岡さんのマジコンはカスや」

山岡「ええっ!どういうことだ!」

栗田「凄いわこれ!マジコンがシャッキリポンと、手のひらの上で踊るわ!」

京極「むほ!むは!ふひょ!」

海原「京極さん、そのマジコンに差し込まれているSDカードは東芝製ですよ」

山岡「そうかっ!そういうことだったのか!!」

京極「このマジコンとSDカードの抜群の相性、手の上でとろけるような一体感!何をとっても一級品、抜群のバランスや!!」

栗田「その点、山岡さんのマジコンはDS、マジコン、SDカードそれぞれの主張が強すぎて、エゴが丸出しだわ。それぞれがバラバラで、プレイ感にまとまりがない。これでは勝負にならないわ……」

海原「安心できる仕入れルートと、信頼できる販売店の他に何が必要だとお前は言ったな。マジコンは単体で利用するのではなく、ROMを入れるSDカードとセットで使うものだ。このSDカードにマジコンと最も相性の良い東芝製を選ばず、何を選ぶというのだ。安いSDカードは転送速度も遅く、フリーズの危険性すらある。そんなことも忘れ、マジコンのみを『本物』にしたところで何の意味があるというのだ。そんなものは、むしろバランスを欠くだけだ!」

山岡「くっ!」

海原「お前はマジコンが『本物』という安心感にあぐらをかき、大事なことを忘れた。そんなものは慢心以外のなにものでもない。ゲームは感性を阻害しない感動を呼び起こしてこそ、始めて芸術たり得るのだ。今のお前ではせいぜい『購入厨に対する優越感』を呼び起こすことしかできず、低俗な中二病の優越感をプレイヤーに与えるのが限界だ。そんなお前が『究極のマジコン』を用意するだと?笑わせるなっ!!!」

山岡「…………」

帰り道にて

山岡「悔しいけど、完敗だ。このままでは海原雄山には勝てない。あいつは購入厨が『金払えよ』と言い出しても『この私を誰だと思っているんだ!こんなゲームで金を取るつもりか!!馬鹿にするにも程がある!!帰るぞ中川!!』で済ます男だ。この傲慢さに勝つためにも、『みんなやってるからいいだろ』『マジコンがないとタダゲーができなくて、子供が友達の輪には入れなくてかわいそう』『購入厨の嫉妬見苦しすぎwワロタww』『ダウンロードはまだ違法じゃないしwww』『早熟の天才アマチュアゲーム開発者ですが何か?』などのテクニックが、究極のマジコンに取り入れられないか考えていく必要がある思うんだ。自分の慢心を見直すためにも……」

栗田「山岡さん……」

山岡「さあ、帰って昼飯にしようか。星岡さんの店で激辛ポテチとカフェイン錠剤をリゲインで流し込もう!」

栗田「はい!当然『割り箸』を使ってですね!!」

タグ:ネタ ゲーム
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