2008年11月16日

「俺は頭がいいので周りでアホがいくら騙されても構わない」

科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想

疑似科学の根本的な問題は「科学的な根拠があるように見せかけて信頼性を得る」という点。「○○すると○○が起きる」という説明をしたい場合、「俺が(勝手に)そう確信しているから」では誰も信じないので、科学的な裏付けがあるように見せかける。これが疑似科学。つまり疑似科学自体がすでに「詐欺の一種」ともいえる。*1

科学的な根拠が無くても、社会的や儀礼的に通用すると宗教になる。これは元々科学的な信頼性を主張していないので、疑似科学ではない。宗教を広めるには聖書なりコーランなりを使えばいいのであって、科学をダシに使う必要は(基本的に)ない。これが疑似科学と宗教の違い。

疑似科学が広まると社会的なリスクが上がる可能性もある

単なる小麦粉を持ち出して「病気に効果がある」と主張する人がいたとする。自分で勝手に信じ込んで、自分で服用するならまあ自己責任だろう。

しかしそれを「科学的に効果が裏付けられている」と主張して、信じる人が増えたら面倒なことになる。自分では薬のつもりだったのに、知らないうちに医者からただの小麦粉が処方されるような事態はごめん被りたい。迷信や妄想の類を信じるよりも、「科学・統計的に効果が現れる可能性が高い」薬剤を服用した方がリスクは小さくなる。

しかもこの選択を自由意志で選べるならいいが、社会的な力関係で「選択の自由が元から存在しない」可能性もある。例えば親が疑似科学に騙されて「小麦粉=万能薬」説を信じているとしたら、子供は否が応でも小麦粉を服用せざるを得ない。これは「自己責任」で片付く問題でもないだろう。

「騙される奴アホすぎw俺は頭がいいので関係ないwwアホは好きなだけ自爆してろwww」と考えたり主張したりする自由は当然ある。ただ、火の粉が自分に降りかかってこないという保証はどこにもないし、騙される人が増えて影響力が増すと社会的なリスクが増えたり、社会全体の効率が悪くなることもありうる。

小麦粉という薬を飲まされたくないので、個人的には疑似科学は批判される方がありがたい。

*1:意図的に騙す場合もあるし、自分自身がそうだと信じ込んでいる場合もある。ただ、結果として起こることは同じ。

タグ:心理 社会 議論
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2008年11月08日

「人を殺していい」と効率が悪くなるので「人を殺してはいけない」

「なぜ人を殺してはいけないのか?」 この質問に対する“理論的な”回答をお願いします。 この質問に興味を持ったきっかけは以下の2つのブログ記事です。 http://www.tomab.. - 人力検索はてな

「人を殺していい自由」を与えると、「自分が他人を殺す自由」が与えられる代わりに、「他人が自分を殺す自由」も同時に与えることになってしまう。当然自分の安全を守るために、体を鍛える、武装する、殺される可能性がある場合先に殺しておく、などの方法をとらなくてはならない。要するに北斗の拳の「世紀末」状態。

結果として身の安全を守るためのコストが著しく上昇するため、社会全体の生産性は大幅に減少する。例えるなら「野武士の襲撃に備えるために農作業に専念できない百姓」のようなもの。

従って社会的な効率(生産性)を高めるために、「人を殺してはいけない」というルールを作って守らせた方が好ましい。ルールを破った者には制裁を与えて、実効性を高める。

道徳や宗教あたりを無視して考えたら、このあたりに落ち着いた。

タグ:雑感 考察
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2008年10月26日

致命的な失敗を個人の責任にして溜飲を下げてもしょうがない

青森県職員つうこんのいちげき 知事、記者会見で落涙 5品種の登録料計3万円払い忘れで新品種の登録取り消し 24年間かけて開発したリンゴなど: 天漢日乗

結論から言えばこの手続きを忘れた職員がマヌケということになるんだけど、それ以上に問題なのがこの職員一人がミスをしただけで取り返しのつかないトラブルになってしまうことだろう。単純にチェックを二重にしておけば気がついた可能性が高いし、そうでなくても再度申請がおこなえるなら致命的な問題にはならなかった。要するにシステム側に根本的な欠陥があったということに他ならない。

ブックマークコメントにはあまり見あたらないけど、この手の問題が起こると「失敗者をつるし上げろ!」「腹を切って死ね」みたいな意見が出ることはよくある。でもシステムは元々「人間はミスをするし忘れる」という前提に基づいて作るべきであって、「失敗者が制裁される」→「万歳!悪は滅びた!!」という思考回路では何も解決しない。むしろそれどころか、システム・制度の根本的な欠陥を見過ごす・忘れるという悪影響すらある。

もちろんこのミスをした職員は何らかの責任をとるべきだとは思うけど、それ以上に優先すべきなのはシステム・法制度の改善と(可能なら)救済策を模索することだろう。腹を切ったり首を切ったりするよりも、そちらの方がよほど「責任をとった」ことになると思うよ。

タグ:社会 行政
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