2008年07月08日

「理解」と「共感」は何が違うのか

suVeneのあれ: 「共感」とは何かを読んで。

「共感」を「相手への配慮」に摩り替える危険性

このように、「共感」というのは、例え勘違い、又は想像上の産物であると知りつつも尚、相手の状況を理解し、気持ちを想像し、その上で似たような感覚を持つようにするということが必要条件となるわけであるが、あくまでもそれは似たような文化・似たような感受性を持つ場合にのみ有効な訳で、「相手への配慮」がある場合に必ず「共感」する訳ではない、という事を肝に銘じておかなければならない。

その前提を取り違えると、「共感しない人間は相手への配慮が足りない」ということになりやすく、「共感」という実感を伴わない両者によるすれ違いは、互いに互いのことを「相手への配慮がない人間」だと考えてしまうことになるのである。

suVeneのあれ: 「共感」とは何か

上記のエントリにも書かれているけど、「共感」と「配慮」はまったく別種類のものだと思う。相手に対して配慮はするけど、心ではまったく共感しない。*1逆に共感はするけど、現実的に配慮することができないという状態は当然あり得る。

最近だと例の秋葉原連続殺傷事件の犯人に(一部)共感できるという話はWeb上でよく見た気がするが、それによって配慮すべきだという話を聞いたり読んだりした記憶はない。人間は色々あって思った通りに行動できるわけじゃないので、心情と行動は別にセットなっていない。ただ「共感」したから結果として「配慮」するような形になることも当然あると思う。

「共感」を得ることは「理解」を得ることじゃない

今回私が書きたかったのは共感と配慮の話ではなくて、「共感」と「理解」の話。

  • 理解できる(理解を得る)
  • 共感できる(共感を得る)

上記の二つの言葉は単純に使われ方だけ見ると似ているけど、実は全然違う。例えばこういう話だったらどうだろう。

Aさんは知人のBさんを夕食に招いた。AさんはBさんと一緒に夕食を楽しもうと思ったが、Bさんはメインディッシュを見て「宗教的な問題でこれは食べられない」と言った。Aさんは驚きながらメインディッシュを抜きにして、Bさんと食事をとった。

さて、この場合AさんはBさんに「共感」できただろうか?多分、できてない。文化や宗教などの根本的な価値観が違う場合、「共感」するのは非常に難しい。*2逆にBさんと同じ宗派の人には、Bさんの行動は当然共感できるだろう。価値観が同じだから。

ではAさんはBさんを理解してないかといえば、そうではないはず。「宗教的な問題ならしょうがない」とちゃんと理解して、Bさんに無理にメインディッシュを勧めたりはしていない。つまり「共感」はしていないが、「理解」はしているのである。ただAさんがBさんと同じ宗教にでも入らない限り、「理解」は得られても「共感」は得られない。理解が共感に繋がっているわけではないということだ。

共感と理解の関係

共感と理解は相反するものではなく、同時に存在し得るものである。

  • 共感できる
    • 理解できる
    • 理解できない
  • 共感できない
    • 理解できる
    • 理解できない

共感できて理解できるのが一番ポジティブな関係で、共感できず理解もできないのが一番ネガティブな関係となる。基本的に共感は心情的な問題で、理解は論理的な判断の話になるのではなかろうか。そう考えると、理詰めで何とかなる分「理解させる」方が簡単なのかもしれない。もちろん他人(人間)がそう簡単に考えを変えてくれる、とは思っていないのだけど。

*1:上下関係やしがらみで「配慮せざるを得ない」という状態はいくらでもある。

*2:異文化まで行かなくても、実際に世の中にまったく同じ価値観の人間なんていないのだから、共感するのは単純に難しい。



タグ:心理 雑感 言葉
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2008年06月22日

日本語の自由度

「日本語が不自由」というと大体状態はわかるし、上手くできないんだなと理解できる。

しかし逆に「日本語が自由」というと、「日本語ができる」ではなく全然別の意味に聞こえてくる不思議。「俺様の日本語は常識から離れて超フリーダムだぜ」とか、ネットスラングを大量に盛り込んだ読めるのか読めないのかわからない文章が想像される。

反対の意味としては、「日本語が自由自在」とか「日本語が自由に使える」でないと駄目なのかもしれない。

タグ:雑感 言葉
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2008年06月20日

趣味という名の優越感ゲーム

一言でいえば「お前の趣味は子供っぽい。だからお前は未熟だ。」(と言われてしまう)問題といったところ。

個人的には誰がどの趣味を持っていても構わないし、それによって個人の評価が変わったりすることはない*1んだけど、実際問題としてリアルでもWebでも他人の趣味叩きってそこら中でおこなわれてる。思うに主な原因は以下の二つ。

  1. 他人の趣味を叩く優越感ゲーム
  2. 理解できないからとりあえず叩いておく

1.は「洋楽聴いている俺ちょうカッコいい!邦楽聴いてる奴は聴覚障害」とか「TV見ている奴は愚衆!あたまがわるい!!ネットで済ます俺最先端!!!」とかそんなの。要するに他人の趣味を叩いて優越感ゲームのダシに使っているだけ。叩けば叩くほど自分が高位に立てる(ような気がする)ので、頑張って叩く。

2.は「ゲーム脳の恐怖」とかその辺り。理解できない(する気もない)、関係ないから叩くことに躊躇がない。「凶悪犯罪が起きた」→「(我々が理解できない)アニメ・ゲームが原因だ!」→「取り締まれ!!」というマスコミのいつもの展開。要するに「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」的な発想。

「理解できない世界」→「恐い or バカ or 幼稚」というのと、もっと悪意があって「○○が嫌い」→「凶悪犯罪は○○が原因」という2パターンがあると思う。

最初の話に戻って今回のパターンで考えると、多分「2」。「いい年こいた大人が〜」というのは、「俺が理解できる趣味をやれ」*2という意味なので、社会的権威付けが大きいほど「理解」されやすい。だから即座に解決する方法は基本的にはない。評価する「大人」がそのカルチャーに「違和感」を感じなければこういうことは起こらないので、結局は時間が解決する問題だと思う。*3

*1:「犯罪が趣味です」とか以外は。

*2:大人の俺が理解できない趣味をやってるお前は幼稚

*3:他には(例としてアレだけど)ジャパニメーションは文化!凄い!!みたいな権威付けも効果があるかもしれない。

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